気持ちのこもった遺言にしよう!書けばみんなが納得する「付言」とは?

温かい遺言に変身する「付言」とは?

 「付言」とは、遺言書の末尾に残すメッセージのことです。この「付言」についてはエンディングノートと同じよう法的な効力はありません。しかし、「付言」があることによって、遺産の行き先だけを書いた堅苦しい遺言書ではなく、温かい遺言書に変身するのです。付言は、公正証書遺言であっても残すことができます。

 

その内容は基本的に自由ですが、どうしてこのような内容の遺言を作成することにしたのかという遺言者の想いや、家族・お世話になった方への感謝の気持ちを伝えることが多いです。付言が書かれてある遺言書と、ない遺言書とでは、その遺言によって遺産を「もらえなかった」あるいは「少なくされた」側の相続人の気持ちが全く異なるものとなります。

 

例えば、「一切の財産を長男の甲野太郎に相続させる。」とだけ書いていてある遺言書を見て、全くもらえなかった次男 甲野次郎・長女 乙野花子は、たとえ“元々もらうつもりがなかったとしても”、その遺言書を見ると悲しくなってしまうものです。しかし、次のような付言があったらどうでしょうか。

 

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【付言】

私は3人の素直なよい子供たちに恵まれて、幸せな人生を送ることができたと心から感謝しています。長男 太郎は、私たち夫婦の老後の面倒をよく看てくれたこと、日々の病院の送り迎えをしてくれたこと、生活費のほとんどを負担してくれていたことに加え、たびたび金銭的援助もしてくれていました。

 

私の長患いのために介護の苦労までさせてしまい、申し訳なく、心苦しく思っています。太郎に対して、わずかに残ったお金と実家を相続させることにしたのはそういう気持ちからです。みな理解してください。

 

太郎、次郎、そして花子、よい人生を本当にありがとう。みんな家族仲良く、力を合わせて生活してください。お母さんは、天国でみんなを見守っています。

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 どうでしょうか。このような文章が遺言の末尾に書いてあったら、「そうか、お母さんはこういう気持ちで財産を太郎に遺したんだな。」と納得できそうだと思いませんか?遺産の行き先だけを書いた無機質な遺言書が、まさに血の通った温かい遺言書に変身するのです。

 

相続人の間では、何が公平・平等なのかということは実際のところは誰にもわかりません。どちらかというと、誰かが不公平感を感じる遺言になってしまうことの方が多いでしょう。その不公平感を少しでも和らげることができるのが「付言」なのです。

 

近年、権利意識の高まりから、遺留分侵害額請求(後日解説いたします)を行使するケースが増えております。確かに、他の相続人からの遺留分行使による遺産争いが起こらないように、相続人全員に最低でも遺留分を確保してあげるよう遺言書を書くことが得策であるかもしれません。しかし、その財産は「自分」の財産であって、本来は自由に使い、誰に遺してよいものです。

この「付言」を書き残すことにより、遺留分の行使を思い留まる相続人は多いです。ぜひ熱く、そして優しく、遺される方々に付言を記してあげてください。

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